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がん体験記 闘病編② ~悪化する体調~
前回の話を読まれていない方はこちらからどうぞ。 副作用との闘い 2012年1月 2回目の抗がん剤治療日をむかえた。 小さくなった腫瘍を先生に見せる。小さくなった腫瘍を確認し、順調とのこと ...
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治療再開
2011年3月
体の状態も精神的にもボロボロ状態になって1ヶ月が経過。3月下旬ようやく生検の結果が出た。
今度は別の治療法(R-CHOP)で抗がん剤治療を再開する。
※R-CHOPは非ホジキンリンパ腫の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」に有効な治療法。
次の治療法は3週間に1回の抗がん剤治療を8回繰り返す。
前回の治療は2週間に1回を16回繰り返す治療法だった。
前回と比べて周期は長く、回数も少ない。
正直2週間に1回の治療の場合、楽になったらすぐ次の治療が始まるため、心が休まる時間があまりなかった。
少しペースがゆっくりになるのはありがたかった。
この治療法は初回のみ副作用が強く出る可能性があるため、入院が必要とのことだった。
※R-CHOPのRの薬「リツキサン」は、初回投与時に副作用が強く出る可能性があるため、入院で様子をみます。
入院は3日間。1日目は検査と体調確認。2日目に1日かけて投与して、3日目に何も起きていなければ退院。
入院自体も初めての経験。部屋は4人部屋だった。入院担当の看護師さんから今回入院の流れを説明してもらった。
毎度ながらこの看護師さんも良い人だった。ちょうど自分と同い年。
通院治療センターの看護師さんとはまた違うタイプで明るい人。検査に行く時も、
「検査いってらっしゃーい!(^^)!」と手を振って声を掛けてくれる。
精神的にボロボロ状態で暗くなっていたが、まるで自分が健康体であるかのように普通に接してくれた。
リンパ腫が発症する間も、治療している間も多くの看護師さんにお世話になっているが本当にありがたかった。
検査を終えて、明日からようやく治療を再開する。
入院2日目。副作用が強く出ないようにゆっくり点滴を開始する。
8時間くらいだろうか。1日中ずっと点滴を受けている。
「もしこの治療がダメだったらいよいよかな。。」と不安になりながら8時間が経過した。
副作用の方は・・特に何も起きていないように感じる。多少体が熱いくらいだろうか。
突然悪化する可能性もあるとのことなので、今夜は点滴針を刺しながら眠った。
針に刺されながら眠るのも気持ち悪かった。こうして2日目を終える。
3日目の朝。2日目と同じく体調にさほど変化はない。
前回の抗がん剤治療よりも、今回の抗がん剤の方が辛くなく、体もあまり重くならなかった。
これならあと7回、十分耐えられそうだなという感触だ。あとは腫瘍が小さくなるかどうか。
恐る恐る腫瘍が小さくなっているか確認した。
「右脇」、「左鎖骨」、「右肘」。。
小さくなっている!痛みも取れてきている!微熱も下がった!
今度こそいけるか!
半分あきらめていたが、もう一度闘うスイッチが入った。
先生から診察を受け、特に問題がないとのことなので無事退院した。
治療後からしばらく経つと、やはり腫れに押し戻される感覚がある。
前回のようにまた新しく腫れてこないか常に不安がつきまとっていた。
治療が延期にならないように、免疫力が落ちないように、
なるべく落ち込まず前向きな気持ちでいようと心掛け、再スタートを切った。
最後の野球?治療中の気晴らし
2012年4月
抗がん剤治療中、ずっと続けてきたことは夕方の散歩。
家近くの川沿いをひたすら約1時間歩いていた。
激しい運動は禁止されていたので、軽く汗をかく程度の運動を心掛けていた。
※薬で心臓に負担がかかっており、激しい運動は心筋梗塞を引き起こす可能性があります。
闘う気持ちが沸くように、よくファイナルファンタジーの戦闘BGMを聞きながら1時間歩くのが1日の日課になっていた。
もう一つ、治療中楽しみにしていたのが野球のテレビ中継。
一番好きな野球選手であるダルビッシュ有の登板日と巨人戦を見ること。
2012年はダルビッシュのメジャー移籍1年目。
5、6日間に1度投げる試合をこの年すべて見た。
勝ったときは喜び、負けたときは悔しい。それが楽しかった。
巨人戦においては、ほぼ毎日試合があるので原監督の交代タイミングや起用法が先読みできるようになっていた(笑)
この年、巨人は日本一。1年間ずっと見ていたのでとても感慨深かった。
会社は休職中なのだが、たまに会社から連絡が来るためメールのチェックはしていた。
その中に草野球を4月の下旬にやるとのメールがあった。
治療サイクル的にちょうど副作用が軽くなる日取りだった。
もし治療がうまくいかなかったらもう二度と野球はできない。。痛みも微熱も今はない。
チャンスかもしれないと思い「体調が良かったら行くわ。」と返した。散歩にも気合が入る。
草野球当日。体調も問題なし。幸い家から遠くない場所のグラウンドだった。
グラウンドに着いたら会社の同僚が温かく迎えてくれた。
実際の野球の方はというと、「投げる筋肉」がほとんどなくなっていた!
塁間を届かせるだけで精一杯だった。副作用で「筋肉が落ちる」とは言われていたが想像以上だった。
打撃の方は、1打席目で柵越え大ファールを打ったのだが、これで力は使い切った(笑)
徐々に足がプルプル震えだす。足も相当衰えていた。
それでも久々に野球が出来て嬉しかった。
最後かも・・と思ったがやっぱり「元気になってもう一度」という気持ちが沸きあがってきた。
治療中に関わらず遠出!映画へ行く!
2012年5月
2012年5月。
定期的に連絡をくれている会社の先輩から「体調良かったら映画行く?」と連絡がきた。
この人は新人の頃からお世話になっているお姉ちゃん的存在。
親と同じくらい自分を理解しているのでは?と思うくらい気兼ねなく話ができる。
ただ正直遠出する、かつ人込みの中に行く外出は怖かった。
「抗がん剤治療中は免疫力が落ちるため、極力風邪をひかないように注意すること」と病院から言われていることを思い出す。
ちょっと悩んだが気分転換にもなるかなと思い、映画に行くことにした。
歩く速度も遅く、映画館にたどり着くまで時間がかかり、まぁまぁ遅刻した。
会社を休職してから数ヶ月経つが、先輩は普段通り接してくれる。見た映画は「宇宙兄弟」。
映画が終わった後は少しお茶をした。
宇宙兄弟はお互い漫画も読んでいて「あのシーン入ってないのかよ!」とか感想を言い合ってた。
声のトーンが久々に高くなる。その後も何の変哲もない普通の日常会話をしていた。
そろそろ帰る時間になり、帰り際に先輩が
「元気そうでよかった!」
と言った。それまで一切病気の話はしていなかった。
元気そうに見えたのはあなたのおかげです。ありがとう!
個人的な意見になってしまうが、治療中に人と会った際に、
過度に心配されたり、病状を聞かれたりするのはあまり気持ちのいいものではない。
健康の時と同じように、普通の日常を感じさせてくれるのが一番良いと思う。
この日以外にも友人に会ったことがある。
その日に仕事や病状の話をしたのだが、結構疲れてしまった。
もちろん友人に悪気はないのだが、会った時は仕事以外の普通の話がいいなぁと思った。
※仕事の話は「焦り」が出ます。。
意識していたのか、自然となのかはわからないが、先輩はその日常を感じさせてくれた。
そもそも免疫が下がっている病人と映画に行くだけでもリスクがある。
逆の立場だったら同じことができただろうか?一生この人にはかなわないなぁと感じた瞬間だった。
別れ際「またいこう!」と言ってくれた。家へ帰る。
家に帰る途中、また現実に戻るのかと考えだして辛かった。
ただ「もう一度イイトコを見せたい」、「なんとか復活したい」という気持ちが高まった。
いつもの耐える生活に戻る。やめていた簿記の勉強も再開した。
5月下旬。26歳になった。
野球漫画「MAJOR」で「誕生日は1年間無事に過ごした証拠!」というセリフがあるが、
これほどそのセリフを実感したことはなかった。
無事今年も歳を重ねることができた。「誕生日おめでとう!」の意味を26歳にしてようやく理解した。
闘病編3まとめ
ここまでの話
- 新しい治療法で抗がん剤治療再開
- 初回治療のみ入院
- 腫瘍が小さくなり「痛み」、「微熱」がなくなる
- 野球や映画で気晴らし
自分で言うのもなんですが、抗がん剤治療を2種類経験した人は珍しい気がします(笑)
副作用は人それぞれ強弱がありますが、私は明らかにR-CHOP療法の方が楽でした。
医療が進み、昔よりはるかに吐き気は抑えることができています。
私は闘病中に嘔吐は一度だけ。それも若干食べ過ぎて気持ち悪くなったことが原因(笑)
指先のしびれや口内炎は付きまといますが、吐き気は恐れないで大丈夫かと思います。
口内炎がひどいのに無性にカレーが食べたくなって、後で後悔したのは良い思い出です。。
8サイクルとなると長丁場です。体調に気を付けながら気晴らしするのも全然ありです。
少ない時間でも以前の普通の日常を感じましょう。
きっと元の生活を取り戻したい気持ちが湧きあがるでしょう!
もしご友人や親族が闘病されている場合は、普段通り、日常を感じさせてあげてください。
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