がん体験記

がん体験記 復活編① ~奇跡の復活~

2020年3月19日

オフィスビル

 

前回の話を読まれていない方はこちらからどうぞ。

がん体験記 闘病編④ ~抗がん剤治療終了~

※YouTubeに同内容を公開しております。

元気に野球ができる!最後の検査!

2012年11月

11月は大学野球部のOB戦がある。10月からコツコツと体を戻してきたが、結局戻らずじまい。

それでも4月に比べればはるかにまし。そこそこ投げれるようになったし、バットも振れてる。

二度とできないと思っていたが、元気に野球ができたことが嬉しかった。

大学野球部のみんなと久々に会ったことで一層元気が出た。

いつもより強めの運動になったせいか、この日を境に下半身の筋力はあっという間に戻った!

 

11月はひそかに勉強を続けていた簿記の試験もあった。

まだ指先に「しびれ」があり、字がうまく書けない。それでも震える指で電卓を叩き、薄いミミズのような字で解答した。

この試験は例年に比べて難易度が高く、家に帰って某ネット掲示板をみると「オワタ」の字が並んでいた。

私もギリギリかなぁと思っていたが、翌月無事合格通知が届いた!

 

そして抗がん剤治療を終えて1ヶ月半が過ぎた。PET検査を受けて、がんが残っていないか確認。

「右脇」、「左鎖骨」、「右肘」は自分で触っても何も感じない。体調も良い。

ただ6月時点で自分ではわからない程度に腫れが残っていたのが気がかりだった。

これでダメなら年内復帰は絶望的。退職は間違いない。祈るような気持ちだった。

 

11月29日。PET検査の結果を聞きにいく。

名前が呼ばれる。今までは良いイメージがまったくなかった診察室のドアを開ける。

先生から結果が伝えられる。

 

医者「腫瘍はすべてなくなっています。」

 

長かった。1年半振りに一息ついた。これで元の生活が返ってくる。

「嬉しさ」というより、どちらかというと「ホッ」とした気持ちの方が強かった。

ただし、がんはこれで「完治」とはいわない。現在は体にがん細胞がいない「寛解」状態。

再発なく5年経過して初めて「完治」といえる。

 

何はともあれ、これで闘病生活は終わり。

 

職場復帰

2012年12月

12月に入り復職の準備を進める。

会社と相談し、クリスマス前に復帰する事が決定した。

その間「毎朝ちゃんと起きて図書館通いをしなさい。」と来た。

正直「なめるな!」と思った。

「10月から体力作りはしてるし、スイッチ入れば普通に働けるわ!」と思えるくらいメンタル面も回復。

そんなことを思っていたので、図書館は週1回くらいした行かなかった(笑)

 

そうは言っても1月から治療に入って約1年間が経っている。

会社も2月から一度も行っていない。また以前のように働けるかどうかは不安だった。

久しぶりすぎて変な目で見られないかなと、ドキドキしながら復帰の日をむかえた。

 

そして復帰の朝、会社へ向かう。

心がフワフワ浮いたような状態だった。

私は会社のエレベーターを使わず、毎朝階段派。久々の階段はかなりきつい。。

恐る恐るフロアに入って、順々に挨拶をする。朝礼が始まる。

まず上司の方から、私が今日から復帰すると紹介。

 

そして自分からも一言。

「当たり前の毎日を楽しみながら、またがんばっていきたいと思います。よろしくお願いします!」

 

健康な毎日に感謝!腕も動かせる!俺は今日も生きている!

ここからがまた新しいスタートだ!

 

一方映画に付き合ってくれた先輩はこの日、、休んでいた!

どおしてだよ(笑)!!

 

 

復活編1まとめ

ここまでの話

  1. 体を動かしながら検査を待つ
  2. PET検査を受けて、無事寛解
  3. 休職期限ギリギリで会社に復帰

 

あとがき

会社に復帰した後、数日して異動を命じられました。

部長から「プログラマーとしての腕を見込んで開発部へ異動して欲しい。」と言われました。

聞こえはいいのですが、実際は「業務量を調整しやすい間接部門でがんばってほしい。」ということです。

私は不満でした。今まで迷惑を掛けた分、周りに恩返しをしたいと思っていました。

負担は大きいかもしれないですが、元の部門で仕事がしたかったのです。

その異動の話を聞いた夜、悔しくてまた泣きました。

復帰してすぐ仕事ができるように準備してきたつもりでした。それなのに過保護扱い。

檻の中に入れられるような気がして悔しかったのです。

 

後日人事部と面談をしました。その時に余程気に入らない顔をしていたのか、また後日社長に呼ばれました。

社長「お前はどうしたいんや!」と聞かれ、「元の部門でやらせてほしいです!」と答えました。

返ってきた答えは、

社長「それならそこでがんばれ!」

でした。

このことは今でも鮮明に覚えています。

社員の多い会社ですが、社長は私を見かけるといつも私の体調を気にしてくださいました。

私は復帰して数ヶ月も経たずに以前のように仕事ができるようになりました。

毎年数人しか行けない海外研修に行かせていただいたこともありました。

元の部門で頑張らさせてもらったおかげで、その後7年間働けたと思っています。

現在は退職しましたが、社長との最後の挨拶でこの時の話をして、固い握手を二度しました。

社長には本当に感謝しています。

 

復帰から既に5年以上が経っていますが、元気に過ごしています。

復帰直後は3ヶ月に1回、3年経つと半年に1回、現在は1年に1回検査をしています。

始めの方は再発していないかビビってましたが、2年くらい経つとそんな心配は吹き飛びました。

元がん患者だったこともたまに忘れます(笑)

以前は血管が固かったり、指先のしびれが多少ありましたが、今では何ともありません。

 

この1年半がなければ。。と復帰した直後は思うこともありましたが、

この経験が今では良い経験だったなと思えるようになりました。

人生観も変わったと思います。

 

現在がんと闘っている方、その疑いがある方、周りで支える方々はとても不安だと思います。

私の元気に復活したこの経験を一例として、少しでも参考になれば、勇気になればと思います。

回復を祈っております。そして楽しい人生を再び送りましょう!

 

今日まで生きているのは周りの方々のおかげです。

国立がん研究センター中央病院の方々を始め、多くの人に感謝しています。ありがとうございます!

特に母親。普段言わないのでここでこっそり言います。ご迷惑お掛けしました。

 

これからも命の大切さを伝えたり、がんの治療や研究の手助けができたらと思っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

 

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【闘病記】癌発症から復活まで!私が悪性リンパ腫になって経験した事のすべて!

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