がん体験記

がん体験記 発症編① ~悪性リンパ腫の始まり~

2020年3月10日

鉄棒

 

現在がんと闘っている方々、そしてその周りの方々を少しでも勇気づけるために、

私のがん(悪性リンパ腫)発症から復活までの道のりをここに記します。

また、健康な方も命について考えるきっかけになればと思います。

 

闘病記:始まりは公園での懸垂

2011年6月

2011年の6月、私は25歳で社会人3年目。

自分で言うのもなんだが、会社の中では若手エース格のプログラマーとして

順調に仕事をこなしていた。

仕事以外では、週末の草野球のために、

家でトレーニングをしたり、公園の鉄棒で懸垂をしたりしていた。

 

ある日、いつもと同じように懸垂をしようと思い、公園へ向かった。

そして鉄棒に両手で掴まろうと思い、鉄棒にむかってジャンプした。

その時、左手だけ鉄棒を掴むことができず、右手1本で掴まってしまう。

右手1本だけでは体を支えきれずに、右脇を強く伸ばしてしまった。

これが全ての始まりになった。

 

その日は、

「あぁ、やっちまったな。。しばらく懸垂はダメだな。」

くらいにしか思ってなかった。

1週間程、右腕を使う運動は控えていたが、足は無事なので少し走りに出掛けた。

走って足が地面につく。その振動で右脇が痛む。

右脇を触ると小さなコリコリのようなものができていた。

当時は「腫瘍」というものがどういうものかあまりわかっていなかった。

そして大事になることなど頭の中にまったくなかったので、

「治るのが長くなりそうなケガをしてしまったな。」とその程度に思っていた。

その後、特に病院に行くわけでもなく、

「ほっとけば治るだろう。」と自然治癒を期待して1~2ヶ月くらい放置していた。

だがその期待は裏切られ、コリコリは一向に小さくなっていかない。

 

むしろコリコリは前より大きくなっている。

この頃の大きさはうずらの卵より少し大きいくらいのサイズになっていた。

日常生活にも支障が出始めた。

右脇にボールを抱えている状態。脇をしめることができない。

常に右脇を空けている生活。腕を下げる事すらできない。

自転車に乗れば、段差に乗り上げる振動で右脇が痛む。

当然バットも振れない。ボールも投げられない。

運動が思うようにできない状態が続く。ストレスが徐々に溜まっていった。

 

闘病記:このままでは治らない。ようやく病院へ

2011年7月

懸垂から約1ヶ月後の2011年7月。母親に病院へいけと促される。

これ以上そのままにしても治らないと思い、近所の整形外科に診てもらうことにした。

 

整形外科の先生医者へ経緯を説明した。

懸垂をしようとして右脇を伸ばして痛めてしまい、コリコリができたこと。

その後痛みが治まらず、右脇のコリコリが大きくなってきたこと。

それを聞いた先生は「まずはレントゲンを撮りましょう。」と言い、レントゲンを撮った。

 

医者「確かに右脇が腫れてるね。」

腫れているのは自分でもわかる。どうすれば治るのかが知りたい。続けて先生が

医者「別の日にMRIを撮りましょう。」と言う。

結局その日は特に診断も治療法も確定しなかった。

ただの外傷だからすぐに診断がつくだろうと思っていたが、甘くなかった。

 

数日後、MRIを撮りに、別の検査機関へ向かった。

右腕がまともに使えない、不自由な生活が続き、これからどうなるのか?治るのか?

と不安を抱えながらMRIを撮影する機械の中で考えていた。

 

そのさらに1週間後、再度整形外科へ。MRIを診ながら先生が言う。

医者「ここでは診断がつかないので、大きな病院で一度診てもらってください」

と言われ、紹介状が渡された。

1ヶ月進展なし。まだこのしんどい状態が続くのかと嫌になった。

翌月、大きな病院の整形外科で改めて診てもらった。

 

2011年8月

2011年8月。大きな病院の整形外科で再度診てもらいにいく。

大きな病院だけあって、患者さんの数もすごく多く、待ち時間が本当に長かった。

早く終わらせて仕事に行きたい。イライラが募る。

約2時間程経った頃にようやく呼ばれ、診察室へ入った。

 

紹介状と先日撮ったMRI、実際の右脇を診て先生が言う。

医者「リンパ節が腫れている。

リンパ腫の専門は血液内科になるのでそちらで診てもらってください。」

ここで初めて「リンパ」が腫れていることを知る。ただのケガだと思っていたのに。

たらいまわし感が漂ってきた。続いて血液内科の診察を受ける。

そこで先生が言う。

血内医者「悪性リンパ腫の可能性がある。」

そして他に腫れている(転移している)場所がないか触診された。

 

触診は特に問題なし。それはそうだろう。ただの外傷。ケガなんだから。

悪性とか何とか言われても全く怖くはなかった。

それでも、

医者「腫瘍が悪性か良性か検査が必要です。 ※生検手術をしましょう。」

との事だった。そこまでしなくてはいけないのか。

※「生体検査」の略称。

病気の診断のために生体の組織片を切り取って顕微鏡などで調べる検査。

 

結局この日も診断はつかなかった。

会社へ戻るが足取りは重い。

しばらくの間、通院のため休みが多くなりそうだと上司へ報告した。

この頃の私は仕事が第一優先。会社も休んだことがなかった。

頻繁に会社を休むことになることが少しショックだった。

もちろん腫瘍のことも。

 

闘病記:発症編1まとめ

ここまでの話

  1. 公園で懸垂をしたら右脇を痛めた
  2. しばらく放置
  3. 治らないため近所の病院へ行くも診断確定せず
  4. 大きな病院へ行き、悪性リンパ腫の可能性があると言われる

「早く病院に行けよ!」と思った方がいるかと思います。

その通りです!怪しいと思ったらすぐ病院へいきましょう!

診断はすぐに確定しません!

これが私が一番伝えたいことです!

 

続きはこちらです。

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